記憶の中の小宇宙
学生時代に最初に知った唯一のデザイナー
デザイナーといえば昔はファッションや広告というイメージしかなかったが、学生時代建築家以外で店舗デザイナーという職業を初めて知ったのが、この倉俣史郎という人でした。しかしこの人を知った時、この人はもうこの世に居なかったため、雑誌でしか作品が見られませんでした。当時は今ほど情報も豊富ではなかったので、実際の作品をなかなか目にする事ができなかった。
氏の代表作品『ハウ・ハイ・ザ・ムーン(1976)』
今回初めて座る事が出来ました。エキスパンドメタルで出来ているのですが、座る上では全く不快さはなく、むしろ手触りも柔らかく、若干のたわみもあり印象以上に座りやすかった。エキスパンドメタルの角も綺麗に溶接で処理されていて、素晴らしい技術の上になり立っている素晴らしいデザイン。
倉俣史郎氏の表現はとてもユニークで、ベッドの横にメモ帳などを置いてるのは、デザイナーであれば当たり前のことだが、思い描いたデザインを瞬時に描き留めるというより、氏は夢の中の出来事や印象的な内容を書き留めていたそうです。夜中ベットでお酒を飲みながらインスピレーションでデザインしたのが、下の写真の椅子です。
『ミス・ブランチ(1988)』
造花のバラを透明なアクリルに閉じ込めた椅子。造花のバラをアクリルに閉じ込める以上に、アクリルを椅子に使い、アルミとアクリルだけで強度を出すという発想が当時あったことにも驚いた。むしろ椅子というより彫刻のような作品の印象があり、長い年月を得て初めて実物を見る事ができました。
『ガラスの椅子(1976年)』
フォトボンドというガラスを接着させるボンドを、東京の三保谷硝子店が開発した事がきっかけで誕生した椅子。その名の通りガラスだけで出来ていて、人が座ると浮遊しているように見える。発想としては考えられるかも知れないが、それを48年前に実現している事が素晴らしい。
倉俣史郎氏は1981年にイタリアのミラノで、建築家でありインダストリアルデザイナーのエットレ・ソットサスが立ち上げた多国籍なデザイナー集団メンフィスにも参加をしており、海外で認められた唯一の日本のデザイナーであり、先駆け的存在であった(メンフィスには、倉俣史郎の他、建築家磯崎新、インテリアデザイナー梅田正徳が参加した)。そんな国内外で認められた倉俣史郎氏は、1991年心不全で亡くなり56歳でこの世を去った。
その他にも倉俣史郎氏が手掛けた店舗や住宅(珍しい)のプロジェクトや家具の展示がありましたが、透明感や浮遊感だけでなく、当時まだ誰も使っていなかった材料や技術を使い、新たなことに挑戦し続けられた姿勢は学ぶところが多く、氏のデザインには『未来』を感じ、夢だけでなく未来をカタチにしてこられた方だと思いました。デザイナーにとって何が必要な事なのか?改めて学ばされた1日でした。
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『ツマヨウジから建築まで・・・』
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